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ピエタリ・インキネン 第744回東京定期演奏会指揮者インタビュー

2022.08.19

ピエタリ・インキネン 第744回東京定期演奏会指揮者インタビュー

聴き手:高坂はる香

—コロナの影響で中断されていたベートーヴェン・ツィクルスが4月に再開されました。

 たくさんのお客様をホールに迎えてコンサートができたことに安心しました。オーケストラも方法を見つけて少しずつ進んできたわけですが、一方で人類がまた戦争を始めた事実にはショックを感じます。それでも、音楽には人々をひとつにする力があることは変わりません。コンサートホールにはいつも何か希望があります。ベートーヴェンの偉大な音楽を前にすると、我々人類がいかに小さな存在か思い知ります。

—綿密なリハーサルをして本番に臨まれたようですね。

 はい、作品にはいろいろなアプローチがありますからね。みんながよく知っている作品は、オーケストラも一度リハーサルをすれば普通の水準の演奏ができます。でもそれで良しとするなら、その作品を何度も取り上げる意味はありません。なぜわざわざ繰り返し演奏するのか、その理由を見つけなくてはなりません。ルーティンの演奏は、私にとってなにもおもしろくないのです。
 よくオーケストラに言うのは、“初めて演奏する時のようにというのは不可能だろうけれど、これが最後の機会かもしれないと思って演奏してほしい”ということ。それが唯一、聴衆に初演時並みのフレッシュさで音楽を届けられる方法だと思っています。
 カーレースでいうなら、コーナーのぎりぎりをハイスピードで走っていくほうが、たとえコースアウトしたとしても、安全運転よりずっと良い。リスクをとらなくては優勝できません。もちろん音楽は競争ではないけれど。
 今度の10月の定期演奏会でも、私はそういうアプローチをすると思います。

—これが最後と思いながら演奏するというのは、今の社会状況だと少し現実味があってこわいですね。

 本当にそうですよ、可能性はゼロではありません。目に見えないウイルスや、目に見える爆撃など、いろいろな敵が存在します。人生は短い。ルーティンをしている暇はありません。私は自分の音楽のうち、1%でもルーティンに感じるところがあると嫌なのです。

—ちなみに、演奏家としての本番前のルーティンはありませんか?

 それはありますよ。リハーサルにちゃんと現れて、予定通りに終わらせようとするけれど、いつも時間が足りなくなるっていう(笑)。新しいものを見つけようとしているうちに、必ずそうなってしまいます。

—次回の公演では交響曲第7番と第8番を取り上げます。作品にどんな印象がありますか?

 《田園》のあと何がくるのだろうと思うところに、ベートーヴェンらしく、大きな驚きを与えてくれますよね。第7番はリズムからとめどないパワーが溢れ、それは《春の祭典》と並ぶレベルです。緩徐の楽章にはシンプルさの力を感じます。オスティナートとオーケストレーションの効果で遠くにステップを進めてゆく、そのさまに毎回心を動かされます。
 続く第8番は、そんな第7番のあとに人々が想像したどんな音楽とも違うものでした。すべての過去についてのジョークのようなものを感じます。彼が一体どういう決断のもと第8番のような作品を書いたのか、考えるほど興味が湧いてきます。
 美しいゆったりたりとした楽章では意表をつく音楽が現れ、ユーモアにあふれています。終楽章はがっしりとしていて、調性の面でも驚きが散りばめられています。
 その次にあのマンモスのような第9番が書かれるわけですから、結果的には大きなコントラストが生まれました。

—第7番は幅広い層に人気です。何が人々を魅了するのでしょうか?

 リズムの運びの要因は大きいでしょうね。興奮が伝播しやすい音楽です。初演のときにも聴衆から大きな反応があり、アンコールが求められたといいます。当時の映像が残っていたらいいのにと思います。ベートーヴェンはこうした場には当時の最高の演奏家を集めていましたから、彼らが一体どんな演奏をしていたのか、そもそも、当時のコンディションの楽譜を見てする演奏がどんなものだったのか、またベートーヴェン自身、耳が聴こえない状態でどんなふうに指揮をしていたのかも見られたらおもしろいですね。タイムマシーンがあったらいいのになと思いますよ。

—一番戻ってみたいのはいつですか?

 うーん、選べないですね。もしそんなことができるのなら、最初から全部見て回りたくなってしまう。

—ずっと帰ってこられなくなってしまいますね(笑)。

 そうですね(笑)。リタイアした後の新しい趣味としては最高です。現代のコンサートでなく、タイムスリップして昔のコンサートを毎日聴きに出かけるだなんて。

—でもそれを見るならリタイア後でなく、まだ現役で、見てきたものを生かしてステージで演奏できるほうがいいのでは?

 いえ、もしそんなことが可能なら、演奏家にとって悲劇的な状況になるのではないかと私は思いますね。なぜなら、作曲家自身の演奏を聴けるチャンスを手に入れたら、それがオーセンティックな唯一の方法だと思い込んで、ほとんどの人がその演奏をコピーしようとするでしょうから。でもそれは良いことではないと思います。私は、演奏の解釈をつくるうえで、視点や可能性は多くあるほどいいと思っています。だから知らない方がいいんです、きっと。

—交響曲第7番は、ワーグナーが「舞踏の神化」と呼んだことも知られていますよね。

 私は音楽学者ではないけれど、そのフレーズは有名ですね。作品にとても合っていると思います。

—ちなみに、インキネンさんは踊りますか?

 指揮をしているときに?

—いえ、そうでなくてダンスを嗜まれるのかな?と。

 ああ、一般的なダンスをするかということですね。やってみたことはあるけれど、情熱をかたむける対象にはなりませんでした。
 指揮台の上でのことについていえば、シュトラウスのワルツのような曲を演奏しているときにダンスの衝動を感じるときはあります。でもそこで踊ることは私たちの仕事ではありません。一部の指揮者はそうしているけれど、フィンランドのスクールの指揮者にはほとんどいません。私の師のパヌラは、それはしてはいけないことだと言っていました。私が指揮台でジャンプしたりターンしたりしないのは、トレーニングの成果です。

—この夏にはついにバイロイトでワーグナーの《指環》4部作を指揮されます。
※7月末にインキネンは新型コロナウイルスに感染したため2022年夏の指揮は大変残念ながら降板いたしました。バイロイト音楽祭事務局は「来年のピエタリ・インキネン指揮による《指環》を楽しみにしたい」と発表しています。

 そうですね、これらの作品については、少しずつものを理解しながら、人生の間ずっと準備しているようなところがありますけれど。
 バイロイトは特別な場所です。昨夏一度経験しましたが、造りがとてもユニークで、音響は他のどんな場所とも異なります。最近はリハーサルを重ね、できるだけ長い時間をそこで過ごそうとしています。
 ティーレマンがよく、バイロイトで指揮をするには耳のスイッチが必要で、いつもの耳をどこかにやって、バイロイト耳をくっつけないといけないといっていました。ピットで音を聴き、響きを読み、反応するため、この場所では特殊な耳に切り替える必要があるのだと。私もその意見に完全に同意します。
 歴史的な場所ですから、大きな責任を感じ、同時にその伝統の一部になれることが信じられない気持ちです。

—これまで日本フィルでもワーグナーを取り上げてきていますね。

 はい、日本フィルにとって大きな挑戦であり、同時にとても健康的なことだったのではないかと思います。私は、歌劇場の楽団はシンフォニーを、シンフォニーオーケストラはオペラを演奏する経験から学ぶべきだと思っていますから。いつか全部《指輪》のツィクルスを完結させられたら、次の大きなステップになると思います。

—ベートーヴェンやワーグナーは、どちらも音楽の理想のためにアグレッシブに戦った人だという印象があります。インキネンさんは一見クールで優しそうですが、そういう熱く戦うタイプの音楽家をどう思いますか?

 私をいいだ人と思ってくれているみたいですが、私も自分の解釈のためには戦っていますよ(笑)。
 もちろんワーグナーは音楽のためだけでなく、政治的な面でもあちこちで戦った人でしたけれど。彼が捕まり殺されていたかもしれないと思うと、とてもリスクのある行動だったと思います。もしそうなっていたら、以降の作品は一つも生まれていませんでした。
 あのような作品を書くには、そんなリスクを厭わない精神のようなものが必要だったのかもしれません。困難に耐える力、不屈の精神のことを、フィンランドでは「sisu(シス)」というのですが、ベートーヴェンやワーグナーは多くのシスを持っていたと感じます。

—日本フィル首席指揮者として、ラストシーズンを迎えます。

 どんなことにも終わりはありますが、その時は最高の地点で終わるほうがいいと私は思います。任期の最後の公演は、ベートーヴェンの《第九》とシベリウスのクレルヴォ交響曲となります。ベートーヴェン・ツィクルスを完走させ、特別なシベリウスの作品で終わるというのは、良い結末なのではないかと思います。正しい道筋をたどり、一度ここで締めくくって、また新しいチャプターに入るという気持ちです。これからまた一緒に何ができるか、相談していけたら嬉しいです。

インキネンのベートーヴェン・ツィクルス再開!スペシャルインタビューはこちらから

 

第744回東京定期演奏会
2022年10月21日 (金) 19時00分
2022年10月22日 (土) 14時00分
指揮:ピエタリ・インキネン[首席指揮者]
【ベートーヴェン・ツィクルスVol.5】
ベートーヴェン:交響曲第8番 ヘ長調 op.93
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92
 

第749回東京定期演奏会 12月20日発売
2023年4月28日 (金) 19時00分
2023年4月29日 (土) 14時00分
指揮:ピエタリ・インキネン[首席指揮者]
ソプラノ:ヨハンナ・ルサネン
バリトン:ヴィッレ・ルサネン
男声合唱:ヘルシンキ大学男声合唱団、東京音楽大学
シベリウス:《クレルヴォ交響曲》 op.7
 

第387回横浜定期演奏会 12月20日発売
2023年5月20日 (土) 17時00分
指揮:ピエタリ・インキネン[首席指揮者]
ソプラノ:森谷真理 アルト:池田香織 
テノール:宮里直樹 バリトン:大西宇宙 合唱:東京音楽大学
【ベートーヴェン・ツィクルスVol.6】
シベリウス:交響詩《タピオラ》op.112
ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》 ニ短調 op.125