メインコンテンツに移動

創立指揮者 渡邉曉雄

 

 

 1919年6月5日、東京に生まれる。1935年、東京音楽学校器楽科入学。1945~46年、東京都フィルハーモニー管指揮者、1948~54年、東京フィルの指揮者、常任指揮者を務める。1950~52年、米国ジュリアード音楽院指揮科留学。
 1956年、日本フィルの創設(6月22日)に参画。1968年まで音楽監督兼常任指揮者、常務理事を務める。それまで日本音楽界の中心だったドイツ・オーストリア系音楽の枠にとらわれない幅広いレパートリーや斬新な演奏スタイル、日本フィル・シリーズ(邦人作曲家への作品委嘱と初演)の創設など、当時の音楽界に大きなセンセーションを巻き起こした。1964年には日本フィルを率いて31都市34回にわたる北米公演を行ない、成功を収める。1969年、スイスに移住、欧州各地で客演活動を行う。
 1978年、日本フィルに復帰、以来6年間「シベリウス交響曲全集」の録音など精力的に活動。1984年4月、日本フィル創立指揮者の称号が贈られる。1985年、小林研一郎とともに日本フィルを率いて9ヶ国51日間に及ぶヨーロッパ公演を実現、成功に導いた。
 1987年11月、日本フィル全楽団員の強い願いにより再び日本フィル音楽監督に復帰。1989年6月、日本フィルによって古稀を祝うバースディ・コンサートが開催される。1990年6月22日逝去。
 フィンランド政府より白薔薇勲章コマンダー章、獅子勲章第一級騎士章、フランス政府より芸術文学賞騎士賞、そのほか日本芸術院賞、毎日芸術賞、レコード・アカデミー賞、モービル音楽賞など多くの賞を受ける。日本フィル創立指揮者・音楽監督のほか、都響名誉指揮者、広響名誉音楽監督、京響音楽監督、東京藝大名誉教授、作陽音大名誉教授、シベリウス協会会長、スターダンサーズ・バレエ団理事長などを務めた。1978年には日本芸術院会員にも選ばれ、わが国音楽界の重鎮として精力的な活動を続けていた。1990年7月6日、従四位勲三等旭日中綬章を贈られる。

「公益信託渡邉曉雄音楽基金」および「渡邉曉雄音楽基金音楽賞」について

公益信託渡邉曉雄音楽基金は、日本指揮界の重鎮、故・渡邉曉雄先生が日本音楽文化に残した多大な業績を積極的な形で今後に引き継ぎ、わが国の音楽界の発展に寄与することを願い1992年6月22日に設定された。この公益信託は、信託設定の趣旨に基づき、「渡邉曉雄音楽基金音楽賞・特別賞」を設置して次代の音楽界を担う優秀な指揮者、及びオーケストラ界に貢献した関係者の顕彰を行い、もってわが国の音楽文化発展に寄与することを目的とする。

公益信託渡邉曉雄音楽基金 運営委員会

運営委員長田邊 稔 (公益財団法人日本フィルハーモニー交響楽団 名誉顧問)
運営委員尾高 忠明(指揮者)
後藤 朋俊(公益財団法人日本フィルハーモニー交響楽団 常務理事)
高関 健 (指揮者)
東条 碩夫(音楽評論家)
藤岡 幸夫(指揮者)
渡邉 康雄(ピアニスト)

受賞者一覧はこちら