シンガポール出身の指揮者カーチュン・ウォンは、2023年9月より日本フィルハーモニー交響楽団首席指揮者に就任。また、同時にドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者に、2024年9月からイギリスのハレ管弦楽団の首席指揮者及びアーティスティック・アドバイザーに就任する。 ミュージカル・アメリカ誌で「その音楽性の深さと誠実さ」と評されるウォンは、2016年グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝、その名を世界に知られることとなる。2021/2022年のハイライトは、クリーヴランド管弦楽団、デトロイト交響楽団、シアトル交響楽団、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、東京都交響楽団へのデビュー、そして、バンベルク交響楽団、バレンシア管弦楽団、東京交響楽団との再共演、武満徹の演奏機会の少ない「ARC」を取り上げた“武満徹 弧[アーク]”公演が挙げられる。
2020/2021年シーズンには、マスコミに称賛されたニューヨーク・フィルハーモニックへのデビュー、そしてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団へのデビューに加えトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、イル・ド・フランス国立管弦楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、読売日本交響楽団との共演も果たす。 故クルト・マズアの愛弟子であるウォンは、晩年はしばしば指揮台を共にする機会に恵まれる。2016/17年にロサンゼルス・フィルハーモニック ドゥダメル・フェローシップ・プログラムを拝命。また、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学にてオーケストラ/オペラ指揮の音楽修士号を取得。 ウォンは、東南アジア出身の音楽家としての自身のこれまでの歩みを通し、人を突き動かし向上させる音楽の力に強い信念を抱いている。2016年グスタフ・マーラーの孫娘であるマリーナ・マーラーとプロジェクト・インフィニチュードを共同設立。シンガポールの非営利機関であるチャイルド・アット・ストリート11と活動を密にし、恵まれない多様な背景を持つ100人以上の子どもたちを支援した。2019年、BR-KlassikとStadtsparkasse Nürnbergとともに、ドイツの子どものための非営利団体Sternstunden e.V.への寄付を募る共同テレビプロジェクトPACHELBEL.VIER.NULLを立ち上げた。 2020年の新型コロナウイルス感染症流行の折には、シンガポールで毎年開催されているチャリティーイベント「ChildAid」のために、1000人以上の世界各地のミュージシャンと共にベートーヴェンの「喜びの歌」のデジタルシンガロングを行い、Straits Times School Pocket Money Fund と Business Times Budding Artists Fund に約200万ドルの寄付を集めた。 2019年12月、33歳という若さでシンガポールとドイツの文化交流並びにドイツ音楽文化の海外普及における献身的な取り組みと顕著な功績により、シンガポール出身の芸術家として初めてドイツ連邦大統領より功労勲章を与えられた。
東京藝術大学作曲科および指揮科を卒業。第1回ブダペスト国際指揮者コンクールでの鮮烈な優勝を飾ったのを皮切りに、世界的に活躍の場を拡げ、現在も国内外の第一線で活躍を続けている。特に、ハンガリーでの活躍は目覚ましく、その功績に対してハンガリー政府よりリスト記念勲章、ハンガリー文化勲章、民間人最高位となる星付中十字勲章、ならびにハンガリー文化大使の称号が授与されている。また、国内では文化庁長官表彰、旭日中綬章を受けている。
作曲家としても数多くの作品を書き、1999年には日本・オランダ交流400年の記念委嘱作品、管弦楽曲『パッサカリア』を作曲、ネーデルランド・フィルで初演されると、聴衆から熱狂的な喝采を以て迎えられた。同作品はそれ以降も様々な機会に再演されている。 精力的な音楽活動の他に、各種媒体への寄稿などエッセイの執筆も行っており、その繊細で情感豊かな語り口でマルチな才能を発揮している。既刊の書籍には、『指揮者のひとりごと』(騎虎書房)、『小林研一郎とオーケストラへ行こう』(旬報社)がある。 現在、日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者、読売日本交響楽団特別客演指揮者、九州交響楽団の名誉客演指揮者等を務めるほか、東京文化会館音楽監督、長野県芸術監督団音楽監督、東京藝術大学・東京音楽大学・リスト音楽院名誉教授の要職にある。
(オフィシャルウェブサイト http://www.it-japan.co.jp/kobaken/)
ロシアを代表する指揮者の一人。2008年9月から8年間にわたり日本フィルの首席指揮者を務め、2016年9月に桂冠指揮者兼芸術顧問に就任。首席指揮者就任とともに3年に渡る「プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト」を開始し、1秒たりとも無駄にしない徹底したリハーサルで演奏水準を引き上げ、「ラザレフ効果」と評される。2011年9月より「ラザレフが刻むロシアの魂」をスタート。2013年6月に最終章を迎えた「SeasonⅠラフマニノフ」では、初回から作曲家の人間性にまで深く迫っていく解釈と、妥協なくその解釈を表現させる演奏で会場を熱狂させ、歴史的な作品の評価までをも変える名演となり、センセーショナルなまでの高評価を得た。
続く「SeasonⅡスクリャービン」では、日本人には馴染みの薄いスクリャービンの独特な色彩的•神秘的な世界を分かりやすくダイナミックに提示。2014/2015シーズンからは2年にわたり「SeasonⅢショスタコーヴィチ」を展開。すさまじい音圧と作曲家が憑依したような演奏が話題となった。2016/2017シーズンより「SeasonⅣグラズノフ」が始まる。 モスクワ音楽院でL.ギンズブルグに師事、同音楽院を首席で卒業。1971年にソ連国際指揮者コンクールで第1位、翌年にはベルリンでのカラヤン指揮者コンクールで第1位とゴールド•メダルを受賞。1987年から1995年にかけてボリショイ劇場の首席指揮者兼芸術監督を務める。両タイトルを一人の指揮者が兼任したのは30年ぶり。この間、東京(1989年)、ミラノ•スカラ座(1989年)、エディンバラ音楽祭(1990、91年)、ニューヨーク•メトロポリタン歌劇場(1991年)などの演奏旅行では前例のないプログラムを実行し高い評価を得ている。グリンカ《イワン•スサーニン》、チャイコフスキー《オルレアンの少女》、リムスキー=コルサコフ《ムラーダ》など、同歌劇場における秀作は映像化されている。さらにボリショイ管とは、ラフマニノフ《交響曲第2番》やショスタコーヴィチ《交響曲第8番》などのロシアの交響曲を含む数々の録音をEratoから出しており、大絶賛をあびている。 数多くのCDをリリースしており、ボリショイ管とはエラート、メロディア、ヴァージン•クラシックスで、BBC響、ロンドン•フィル、ロイヤル•スコッティッシュ•ナショナル管等との録音がある。日本フィルとの録音も多く、最近ではオクタヴィア·レコードより『ラフマニノフ:交響曲全集』、ショスタコーヴィチの交響曲『第4番』、『第11番』、『第8番』に続き、『第7番《レニングラード》』が2016年7月に発売されている。
東京生まれ。尾高惇忠にピアノと作曲を師事、音楽、音楽をすることを学ぶ。東京音楽大学指揮科卒業。1984年、26歳で「第1回キリル・コンドラシン国際青年指揮者コンクール」に優勝。以来、フランス国立管、ベルリン放送響、コンセルトヘボウ管、モントリオール響、イスラエル・フィル、ロンドン響、ウィーン響などメジャー・オーケストラへの客演を展開。これまでノールショピング響、リンブルク響、ロイヤル・リヴァプール・フィルのポストを歴任、このうちノールショピング響とは94年に来日公演を実現、さらに米国ではコロンバス響音楽監督を務めヨーヨー・マ、ミドリをはじめ素晴らしいソリストたちとともに数々の名演を残した。
近年では、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響、スイス・イタリア管、モンテカルロ・フィル、バルセロナ響、ビルバオ響、ポーランド国立放送響、スロヴェニア・フィル、サンクトペテルブルク・フィル、チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ、ラトビア国立響、ボルティモア響、シンシナティ響、ヴァンクーヴァー響、サンパウロ響、ニュージーランド響等へ客演。国内では全国各地のオーケストラはもとより、サイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団にもたびたび招かれ絶賛を博している。 オペラ指揮の分野でもシドニー歌劇場デビューにおけるヴェルディ《仮面舞踏会》、《リゴレット》が高く評価されたのを皮切りに、グルック、モーツァルトからプッチーニ、さらにオスバルト・ゴリホフ《アイナダマール》の日本初演まで幅広いレパートリーで数々のプロダクションを成功に導いている。 1991年9月から2000年8月まで日本フィルの正指揮者を務めた。2008年4月より京都市交響楽団常任指揮者を経て2014年4月より常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザー。2015年には同団とともにサントリー音楽賞を受賞。2017年4月からは札幌交響楽団友情客演指揮者も務める。常任指揮者として13シーズン目の2020年4月より京都市交響楽団第13代常任指揮者兼芸術顧問に就任。2020年4月より京都コンサートホール館長も務める。また、東京音楽大学指揮科教授として教育活動にも情熱を注いでいる。