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カーチュン・ウォン首席指揮者就任 記者懇談会

2023.11.29

昨年5月に首席指揮者決定の記者発表をしてから約1年半。いよいよカーチュン・ウォン首席指揮者体制がスタートしました。2023年10月13日、首席指揮者就任披露演奏会当日に赤坂のアークヒルズクラブで記者懇談会を開催しました。

登壇者
カーチュン・ウォン(首席指揮者)
平井俊邦(理事長)
益滿行裕(企画広報本部長・企画制作部長)
通訳:井上裕佳子

理事長平井俊邦よりご挨拶

日本フィルは、ここ10数年、首席指揮者だったアレクサンドル・ラザレフ、ピエタリ・インキネンの両氏を核として小林研一郎さん、山田和樹さん、広上淳一さん等の指揮者陣と基盤をつくり、大きく発展したと評価されているのではないかと勝手に思っています。その音楽的基盤に、これから世界にますます羽ばたいていくカーチュン・ウォンマエストロを迎え、大きな化学変化を予感させます。どのような化学変化が起るのか胸が高まりを覚えます。益滿さんの語りを通して日本フィルの思い、そしてさらにカーチュン・ウォンマエストロの思い。これを今日はじっくりとお聞きいただきたいと思います。

首席指揮者就任から今後の活動 益満行裕(企画制作部長)

古典から現代に至るまで、カーチュン・ウォンの指揮は、印刷された音符を立体化させ作品の持つドラマや形式すらも明確に描き出し、「クラシック」の価値を博物館的に押し込めるのではなく、現代にも通じ得るものとして明示してくれます。我々にとって「最初のマーラー」となった第5番の演奏も、その意味でまさに衝撃的な門出でした。
今後は、2026年の創立70周年を念頭に、順次、彼の音楽的ルーツであるマーラー、そこにブルックナーが加わり、アジアツアーも計画しております。
また、 ウォン氏と日本フィルならではの視点と言える“Folksong”に着目したユニークなレパートリー、アジアの作品へ取り組みは、より一層深みを増してまいります。ウォン氏の探究心は並々ならぬものがあり、日本人である我々でも知らない作品が、次々と彼の口から出てくるのは、悔しいながらも圧巻です。マエストロは先日開示された東京音楽大学所蔵の作曲家伊福部昭の研究資料も早々に閲覧しに行ったそうです。指揮台の華やかさを裏支えするこういった研究熱心なところも尊敬に値します。
このようにカーチュン・ウォンと日本フィルは、これまでの偉大な先達たちと築き上げてきた路線を継承しつつも、新たな個性と音楽性を創造すべく今までにない音楽の場を提供してまいります。

首席指揮者カーチュン・ウォンよりご挨拶

私は今、JPOの楽員たちとの仕事をとても楽しんでいます。初日のリハーサルというのは、1番大変な1日で、必ず頭の中でこれとこれをやろうとチェックリストを作ります。ですがJPOの皆とリハーサルを始めると、すぐに、あ、1つ目はもう大丈夫。2つ目も素晴らしいからこのままでOK、と、驚くほど優秀だと感心してしまいます。本当に最近は良き音楽的なパートナーという信頼関係も感じられてきています。
私が育ったシンガポールは、平等、多様化、そしてインクルージョン*、そういうことを大切にしている国です。5分も行けばモスク、カトリックの教会、ヒンドゥー教の寺院等があり、色々な宗教が混じっている場所でした。日本に来た時には日本の文化に大きなインスピレーションを受けました。その中でも伊福部昭の作品に携わることができ、そしてこれから伊福部のような作曲家の作品を、海外で演奏することができるようになったということを、とても嬉しく思っています。来年、私が首席客演指揮者を務めるドレスデン・フィルでシンフォニア・タプカーラを演奏することになりました。私はドレスデンの方たちと伊福部の楽譜を借りるのはどうか、JPOに電話してみてはどうか、と話しています。今までは西洋の最高のものを日本に取り入れていたのが、我々は今、最高の日本の文化を世界のクラシック業界の方々と分かち合えるのです。このような機会を私に与えくださり本当にありがとうございます。

*インクルージョン:個々の異なる属性が受け入れられ、互いに尊重されている状態

質疑応答

世界において伊福部の音楽が持つ意味というものがあるとしたら?

私が曲を取り上げる時には、単純に音楽が好きかそうでないかだけで選んでいるところがあります。さらに、この作品に対して私が1番適している指揮者かどうか、ということも考えます。例えばモーツァルトのレクイエムやヴェルディのリゴレットなどは大好きで、もう自分の頭の中には入っています。ですが指揮をするかとなると、多分しないでしょう。私よりもそれに適している指揮者たちが大勢他にいるからです。同じことが伊福部にも言えると思います。ゴジラももちろん有名ですが、私は彼の人生、戦争やアイヌの関係、オスティナートリズムなどから非常に興味を持ち、彼の作品に着目しました。日本人作曲家のプロジェクトはまだ始まりの第1歩です。これから他の日本人の作曲家、例えば細川俊夫、諸井三郎などもまだまだ研究し、音楽学的にも調べていき、専門家のアドバイスもいただければと考えています。

クラシック音楽をやる上で、非ヨーロッパ文化圏出身の人間ということを、意識をされていますか?違いがあるとしたら、それはどういうところがあると思われますか?

私は、人のバックグラウンドが違うということは、大きな意味で全て人間が違うことと同じだと思っています。例えばドイツ人2人の指揮者でも、日本人の指揮者2人をとっても全然個性が違います。ベルリンでは、君は初めてドイツで勉強するシンガポール人だとか、初めてベルリンで指揮を勉強するシンガポール人だ、などと言われてきました。
マイノリティなことは理解していますが、私は自分がいる場所でできるだけのことを学び、そして吸収しようと常に思っていす。私が大きな勇気をもらったのは、マーラー・コンクールです。第1回目の優勝者はグスターボ・ドゥダメル、彼は非ヨーロッパ圏のベネスエラ出身です。そして2回目の優勝者がラハフ・シャニ、彼はイスラエル出身。彼らのブラームス、マーラーは素晴らしいです。名作の力というのは、その立地条件とか宗教、政治、そういうものを全て超越すると私は思います。

日本人作曲家が生み出す音楽の魅力とは?

先ほどと似た答えになりますが、各作曲家というのはそれぞれ異なる人たちだと思っています。私は若い頃作曲を勉強していましたので、どのような構成なのか、どうやって組み合わせているのか、構造を考えるのがとても好きです。日本人作曲家たちがどのような形でこの音楽を作っているのかに興味があり、決して日本人の曲だから演奏したいというような考えではありません。この曲をどうしても演奏しなければいけないと私自身が感じてしまうのです。日本は私にとって非常に大きなインスピレーションを与えてくれる国です。アジアの中でも西洋の文化を大々的に取り入れた、初期の国で、西洋音楽も本当に自分のものとして取り入れています。決してものまねではありません。伊福部、武満、彼らはそれを見事にされた作曲家ではないかと思います。私はアジア、しかも東南アジアの若い国の出身で、クラシック音楽をまだ取り入れてから年月が浅い。日本が西洋音楽をどのように発展させてきたかは、私が自国に戻った時にも大きなヒントになるのではないかと思います。

(一部抜粋、意訳しております)