聞き手:林田直樹
—12月の定期演奏会、イギリスに関心ある人は、音楽に限らずすごく注目すべき本当に素晴らしい内容ですね。まずは生誕150周年のヴォーン・ウィリアムズの交響曲第6番が決まったそうですね。
せっかく日本フィルの東京定期にお招きいただいているので、プログラムが一つの何か物語というか、メッセージ性のあるものをさせていただくようにしています。 ヴォーン=ウィリアムズといえば、《グリーンスリーブス》の人でしょっていう?というような認識の人が実は多いんじゃないかと思ったりもするのですが、とんでもないすごい作曲家だと最近思っていて。今回いろいろな交響曲を聞いたり、調べてみたりしてるうちにこの6番にすごく心を掴まれて。本当に素晴らしい。でも生で聴くチャンスがあまりなかったので、とりあげてみたいと思いました。この交響曲、作曲家本人は否定していますが、第二次世界大戦を意識していることは間違いないと思います。それを露骨に言いたくないっていうことの裏返しで、純音楽として聴いてほしいと言っているというのは読みましたが。 イギリスの音楽は、音階のせいか日本人には理屈抜きにふーっと自然にはいってくるものがあります。蛍の光もそうだというと極端でしょうか。そんなメロディーが前半にはでてきます。だからこそ後半の異常な静謐さとそのスケルツォの非常に暴力的な音楽的というのが、生きてくるというか。一つの彼の構成上の作戦かもしれません。最後は静かになって、さあ次はどんなフィナーレが待っているんだろう、こう高揚するような、ハッピーな赦しを与えられたような音楽が来るのかと思ってたら、来ない。第4楽章は「フィナーレ」ではなくて「エピローグ」です。聴衆への、我々への挑戦状です。 ずっと、センツァ・クレッシェンド(クレッシェンドなしに)、絶対クレッシェンドするなという強い要求が、すべてに書いてあります。カンタービレ(歌う)と書いてあってもクレジェンドするなと書いてあるんです。だからそのニヒリズムというか、感情を表に出すなということでもあるかもしれない。それは本当に恐怖を味わった人でしかわからないことというか茫然自失となるというか…そのようなことがこの異常なスコアにずっとある。しかもくどいですけどエピローグって書いてある。何のエピローグなのかというのも想像が膨らみませんか。この交響曲のエピローグかもしれないし人類のエピローグかもしれない。 今回サントリーホールで演奏しますが、水を打ったように全員が何か思考してる、途中でダウンしている人もいるかもしれないけど、日本フィルの皆さんとこれ演奏した後のお客様の反応はすごく興味深いです。
―この6番の交響曲と何を組み合わせるかとなったわけですね。コース料理として考えた時に、すぐ絶妙な配分ですね。この甘さと辛さと。同じ20世紀のイギリス音楽ですけれども。
フィンジは大好きな作曲家で。「武器よさらば」の譜面取り寄せたらとても綺麗な曲だったので、これを凶暴なヴォーン=ウィリアムズのこの6番と組み合わせたら、もうそれで言葉をそれ以上重ねなくても、来てくださるお客様には意図があるのかな、とわかっていただけると思いました。せっかくイギリスの音楽をお聞きいただくのであればもう少し何かをとパーセルから順に全部考えてみた結果タネジに落ち着き、この「叫ぶ教皇」にたどり着きました。インスパイアされたフランシス・ベーコンの絵が強烈じゃないですか(是非絵も見てください!)。聴いてみたら、ヴォーン=ウィリアムズと同じ音すると思ったんです。あのスクラッチな、あとシャウトしてるところとかも、なんか共通性がありますし。
フィンジの入祭唱というミサの最初のような美しい響きの中で間髪いれずにタネジがはじまる。まだ現代の音楽と言える作品で、とんでもない色んな大きな編成で、シンセサイザーも使ったり。そしてタネジの残響が終わったところで「武器よさらば」。前半はこれらを続けて演奏します。それぞれに素晴らしい作品なんですけど、その次の曲と次の曲に行く間合いというのも演奏だと、僕は思ってるんです。
構成:日本フィル
YouTubeで対談全部をご覧いただけます!
【下野竜也×林田直樹ヴォーン=ウィリアムズを語り合う】
【下野竜也×林田直樹フィンジ、タネジを語り合う】