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カーチュン・ウォン 次期首席指揮者就任決定記者会見レポート

2022.05.28

2022年5月18日(水)、丸ビルホール&コンファレンススクエアにて、日本フィルの今後の指揮者陣体制について記者会見を行いました。
多くの音楽・報道関係者の皆様にお集まりいただきましたこと、この場をお借りして御礼申し上げます。以下に記者会見の内容をご報告いたします。

理事長 平井俊邦より会見主旨

日本フィルハーモニー交響楽団は、2023年9月よりカーチュン・ウォン(現・首席客演指揮者)を首席指揮者に迎えます。任期は5年を予定しております。

年3回のサントリーホールでの東京定期演奏会をはじめとして年間12公演程度を予定しています。九州公演はもとより日本の各地へ音楽を届けていきたいと思っております。そして日本フィルが足を運んでいないアジア諸国への楽旅も目指していければと考えています。オーケストラ公演にとどまらず、日本フィルの大きな特徴でもある社会貢献、教育活動と地域活動、東北地方でおこなっている「被災地へ音楽を」の活動にも積極的に関与していただきたいと考えています。現首席指揮者ピエタリ・インキネンの2023年8月任期終了に伴い、日本フィルは新しい才能との出会いを待ち望んでおりましたが、そのようなタイミングでカーチュン・ウォンという素晴らしいマエストロと出会えたことを非常に嬉しく思っております。芸術性と社会性の双方におけるリーダーシップを期待しております。
モダニストでありながら古き良き伝統を受け継ぐ次期首席指揮者カーチュン・ウォンと日本フィルの今後に、どうぞご期待ください。

 

カーチュン・ウォンと日本フィルが目指すこと(事務次長/企画制作部部長 益滿行裕) 

このコロナ禍で自分たちの企画を作っては壊し、作っては壊し、どこのオーケストラもホールも同じだとは思いますが、そういった中で、今回のような喜ばしいニュースが発表できたのはオーケストラにとっても業界にとっても活力になると信じております。

1986年にシンガポールに生まれたカーチュン・ウォン氏は、トランペットと作曲を基点としてクラシック音楽と関わり、今では世界的な指揮者として活躍をしています。彼の指揮者として興味深い点は、ヨーロッパ・日本・シンガポールを拠点に、そして近年ではアメリカ(クリーヴランド交響楽団へのデビューなど)でも活躍する世界を渡り歩くモダニストでありながら、20世紀の名匠クルト・マズアの薫陶を受けており、現代的でありながら古き良き伝統を受け継ぐ指揮者であることです。大変魅力的なマエストロです。また作曲家でもあるウォン氏の指揮は、徹底した楽譜のアナリーゼに裏打ちされた上で、彼独特の解釈を私たちオーケストラ、そして聴き手の皆様にもたらしてくれます。悪戯に楽譜を「いじる」のではなく、楽譜に込められた秘密や新たな側面をいつも我々に気づかせてくれるのです。例えばこれまで聴こえてこなかった魅力的な内声部の「うた」や独自のテンポ設定によって浮かび上がって来る表情は、いわばルーティン化した私たちの耳を大いに刺激してくれるものです。そしてそれらを裏付ける表現方法は、カーチュン氏ならではの経験と頭脳、そしてセンスが導き出されたものであり、その徹底的なバランス感覚は唯一無二と言って良いでしょう。今度リリースされるマーラーの5番のCDなどもお聴きいただければと思います。私たちが聴きなれているマーラー像とは違う響きがきっと聴こえてくると思います。

日本フィルは、指揮者陣それぞれがユニークな個性を発揮し歴史を紡いでまいりました。ウォン氏とは、彼自身のライフワークであるマーラーを一つの大きな柱として掲げます。マエストロはマーラーの名前を冠した指揮者コンクールの優勝者でもあり、またマーラーの孫娘のマリーナ・マーラーさんと非常に強い絆で結ばれている。そういったところから新たな観点が培われております。

そしてもう一つの軸はシンガポールで生まれた指揮者と日本で創立したオーケストラだからこそ持ち得る「日本を含むアジア」への視点です。まず2022年から2023年にかけては日本を代表する作曲家伊福部昭と弟子の芥川也寸志の作品を取り上げます。両者とも繰り返しの律動「オスティナータ」が特徴的な豪快な作風で、日本という範疇を超えた汎アジア的な規模を感じさせる音楽です。今後は日本の作曲家にこだわらず、広くアジア圏に視点を拡大して知られざる音楽にも注目して行きたいと思います。
そしてもう一つのテーマが「民族・民謡」です。これはアジアにこだわらず世界の民族音楽にルーツを持つクラシック作品を紹介してゆきます。現在のラインナップの中ではバルトークやヤナーチェク、ミャスコフスキーが該当します。この辺りはなかなか他の指揮者には難色を示されてしまい、マエストロならではだと思っております。

ゆくゆくはこういったコンセプトを基に、半世紀近く続く九州公演はもちろんのこと、日本の津々浦々、そしてシンガポール含む海外での公演も目指したいと思います。また日本フィルが社会性を強く意識したオーケストラであることは皆様ご存じのこととは思いますが、団が掲げている3つの柱、「オーケストラ・コンサート」のほかに「エデュケーション・プログラム」「リージョナル・アクティビティ」といった重要な活動にもマエストロにも関わっていただきたいと思っております。マエストロご自身もトランペットをやっていらっしゃいましたし、吹奏楽のための曲も作曲していらっしゃいます。そういったところからも全国各地の中高生の指導や、演奏会を実現できればと思っております。また2011年から行っている東日本大震災の被災地に音楽を届ける「被災地に音楽を」という活動も一緒にできればと思っております。またこういった教育活動もアジアへ輸出できたら面白いのではないかと。実際に2011年に香港公演を行った時も、2019年にフィンランドへ行った時も地元の子供たちにワークショップなどを行っています。そういったところも日本フィルの強みですので、ぜひマエストロと一緒に活動できたらなと思っております。何よりも非常に嬉しいのは、マエストロがこういったオーケストラ活動以外にもとても興味を持ってくださっているところです。

この演奏面と社会面、芸術性と社会性。こういったところを含めて、ともに歩んでいけると我々は確信しておりますし、マエストロも共感してくださった。こういった機微がございまして、この度マエストロを首席指揮者としてお迎えする運びとなりました。

 

 

次期首席指揮者 カーチュン・ウォンよりご挨拶

みなさまこんにちは。今日はお越しいただきありがとうございました。このようなかたちで皆様にお目にかかれることをとても嬉しく思っています。

この数日間は本当にジェットコースターに乗るような日々でした。本当にいろいろなところへ私は移動しなければならず、先週は日本フィルと2回コンサートを行いました。そして私の子供が、予定では5月10日に生まれるはずだったんです。そしてそれが延びて16日になったのですが、それでも嫌だ、出てきたくないと。そして13時間ほど前の5月18日の午前1時ごろようやく生まれました。
私にとって5月18日というのは、特別な日として記憶に残るでしょう。まず、私の息子が生まれた日。そしてこの記者会見を行った日。さらに、これは完全に運命だと思っているのですが、グスタフ・マーラーの命日。彼がなくなったのも5月18日でした。マーラーの孫娘マリーナとも話したのですが、彼女も非常に感動していて、絶対に5月18日に息子が生まれたのは何かの魔法よね、と話していました。

5月27日、28日はサントリーホールでマーラーの交響曲第4番を演奏いたします。これは特別な曲で、解釈は様々ですが、子供の時代を振り返る、または子供が天国というものをどのように見ているか、そういった作品です。妻が身ごもったというニュースを聞いたとき、このコンサートのことも頭にあり、少し心配をしてしまいました。というのも、解釈が二つありまして、一つは亡くなった子供、だから天国との関連がある。そしてもう一つは無垢な子供の気持ちだから天国とか偏見のない美しい世界、それを夢見ている。そういう解釈が両方あると思うのですが、マリーナと話していた時に、彼女が言ったのは、祖父マーラーの音楽というのは自然の真実というものを語っているもので、良いこと悪いことを言っているわけではないと。そしてこの作品は子供というものを反映していますが、これはお腹の中にいる子供のことかもしれないし、我々大人の中にいる子供のことなのかもしれない。ですからこのマーラーの交響曲第4番は非常に深い音楽なのではないかと。この一連のプロセスというものが私にとってもより良い音楽家へ成長する手助けになったのではないかと思っています。

日本フィルの音について

日本フィルは、非常に素晴らしい独自の音を持っています。この音をさらに高められると信じています。今日世界には素晴らしいオーケストラが沢山ありますが、どうしても似たような音になる傾向があります。私は日本フィルの独自の音を守り、かつそれを成長させていきたいと思っています。自分たちの独自の音を生み出せる、そのポテンシャルを感じています。日本フィルとの5年間で何か音作りというのを確立できれば、非常に嬉しいです。

日本フィルの伝統と革新

日本のパラドクスというものにも注目しています。皆さんは必死に伝統を守ろうとしていますが、その中に現代性をどんどん取り入れていくという局面もありますよね。これは音楽だけではなくて、食べ物や文化など様々な面で見られると思います。日本フィルはポテンシャルが高いと申しましたが、今までのクラシックの伝統、今までの演奏を守りつつも、同時に新しいもの、技術も含めて、レコーディングや新しいソーシャルメディア、そして我々の音楽というものをどんな形で配信し残していくか、そういう革新的な意味でのポテンシャルもあるのではないかなと思っています。

日本フィルの社会からの要請に対しての取り組みについて

日本フィルは社会的な意味を持つ組織であり、これは私が非常に惹かれている側面でもあります。昨年の夏に、私は日本フィルの様々なプロジェクトを拝見しました。子供のためのプロジェクト(夏休みコンサート)もありましたし、五感を使った新しい聴衆を開拓するためのプロジェクト(落合陽一×日本フィルプロジェクト)もありました。もちろん日本フィルは東北にもいきますし、他の地域にも教育プログラムを展開しており、そういうところにも私はとても惹かれます。
もちろんコンサートホールでの演奏会は特別なものです。しかし、私たちは芸術家として世の中のあらゆる人々に美しいものを生み出して提供しなければいけません。人々というのは、子供もいますし高齢者の方々もいます。すべての方たちに美しい音楽を経験してもらえるような仕掛けというものを考えていきたいです。

まだまだ始めたばかりの長い旅路です。今後もオーケストラのことをよりよく知って、何がができるかを考えていきたいと思っています。皆様とはコンサートホールでお目にかかれることを楽しみにしています。

 

質疑応答

質問①日本人の作曲家が、西洋の文化をどのように受け入れるか、という葛藤した中で生まれた曲ばかりです。そういったものをお感じになって、それを改めてどのような形で私たちに聴かせてくれようとしているのかお教えください。

これは私にとっても個人的なプロジェクトでもあります。私の出身であるシンガポールは誕生して50数年のとても若い国です。10年ほど前にシンガポールでは、我々の文化というのは何なのか、というような疑問が浮かび始めました。私は作曲家でもあるので、自分たちの音楽はどのように定義できるのかと悩んだものです。そして民謡的な文化もあるのですが、それはマレー半島の文化なのか、数世代前にいろいろな移民が中国やインドからも入りましたが、その人たちの文化なのか。その定義さえも非常に難しかったのです。私はその答えを日本の音楽に見出すことができました。やはり同じようなことで70年ほど前に皆様が悩まれたことではないかと思いました。早坂文雄や伊福部昭、芥川也寸志の音楽などを聴いて、非常に発見も多かったのです。この音楽を聴いて作曲家の皆さんが西洋の伝統を使いながら、どのように日本の文化を表現するか、葛藤があったと思いました。「越天楽(近衛秀麿編曲)」という作品も、西洋の交響楽団を使いながら、雅楽のような音を生み出しています。笙の音とかが聴こえてきます。木管楽器で演奏されているんですね。そして今度演奏する伊福部の《リトミカ・オスティナータ》でも、4度5度の使い方が非常に雅楽的な響きもあります。日本のクラシック音楽を勉強することは私のような東南アジアの音楽家にとっては非常にためになります。このような名曲と呼ばれる作品へのアプローチもオーケストラと共に見出していきたいと思います。場合によってはオーケストラの方がその作品をよく知っていることもあるので、私が学ぶ立場に立つこともあります。これらの名曲を、マーラー、ベートーヴェン、ブラームスと同じように演奏していきたいと思っています。これは既に世界初演ではなく、私たちは素晴らしい曲だということがわかっていて、それを皆様に、西洋のプログラムと一緒に提供していきたいと思っています。西洋の音楽より良い、悪い、ということではないのです。

そして様々な音楽を取り上げていく最初に、民謡という切り口でアプローチをしてみました。伊福部、芥川、バルトーク、ヤナーチェクなど。このような試みは、まだ私たちがスタート地点に立っていることもあり、今後どんどん進化していくと思います。どういう形かわかりませんが、もしかしたら数年後には作曲家のアカデミーができて若い人たちが新しい曲をたくさん書くアジアになるかもしれません。その中で日本フィルが皆様にとっての文化的なメンター、先生になる日が来るのかもしれません。

質問②非常に難しい状況にいることは言うまでもなく、コミュニケーションが分断されて戦争も起きています。マエストロのおっしゃっていたコミュニケーションの創出というのはこれまで以上に重要な意味を持つと思います。この状況に置いて、もう一度ご自身の信念を語っていただければと思います。

芸術家としてこのような時期に何ができるのか。本当に近年はとても大変な時代を迎えていると思います。そして皆さんその影響というものを日々の生活のなかでも感じられていると思います。私は現在35歳でまもなく36歳になります。指揮者としては比較的若い方です。そして今まで大きな苦労というのはあまりしたことがないのです。ですが、今のこの世の中を見ると、芸術家として非常に心が痛みます。ただ、このようなことというのは人間の歴史の中で初めてのことではありません。1700年代後半はナポレオンがおり、ベートーヴェンが《英雄》や《ウェリントンの勝利》を作曲し、近年になると、R.シュトラウスが《メタモルフォーゼン》を書いたり、ストラヴィンスキーがいたり。その時代時代に反応して素晴らしい曲を生み出しています。私も大勢のアーティストの中で大変な時期でありますが、同時に心が動く時代でもあります。これは良い意味でも悪い意味でもありません。心が非常に強く動いて物事を感じます。一体この世の中は何のためにあるのか。お互いに危害を加える人間がいるとしても、私たちが演奏会で演奏するような素晴らしく美しい音楽を残すのも人間です。そのようなことを考えながら今は日々を過ごしています。

質問③マーラーが特別な作曲家だと聴きましたが、マーラーの音楽との出会い、そしてマーラー・コンクールを受ける前にどのような作品を振ってきたのかお教えください。

マーラーとの出会いですが、トランペット奏者として彼の作品を吹いたのが始めでした。彼の音楽に惹かれる部分は、多面的な部分、そして様々な文化が込められている部分、そういうところだと思います。シンガポール出身なので自分の住んでいた地域の多様性もあり、そういうところにとても共感を覚えました。マーラーの6番もそうですよね。また4番であれば、鈴の音があったり、マーラーの大好きな葬送行進曲があったり、天国や地獄、動物。いろいろなものがマーラーの音楽には出てきます。すべてのものが音楽になりうるというところにも惹かれます。そしてマーラー・指揮者コンクールでは課題曲があり、それは私の大好きなマーラーの3番でした。そのほかにもデュティユーや、ウェーベルン、ハース、ハイドンの44番、様々な時代の中心にマーラーがあったプログラムでした。そしてこの3番は、とても面白い曲で、私の好きなところがすべて表現されています。6楽章で構成されていて、第1楽章は世界の創生、第2楽章は木や花の音楽、第3楽章が動物、第4楽章が人間、第5楽章が天使、第6楽章が愛。人間のステージをすべて上書きするような形で音楽が膨らんでゆくところがとても好きです。そしてフィナーレ第7楽章があったのですが、彼は第3番に含めるのをやめて、第4番のフィナーレに持っていきました。これが今回(5月27日28日)につながる交響曲第4番になります。

質問④マエストロの人間的背景、またシンガポールの音楽事情を教えてください。マエストロがどのように音楽家に羽ばたいていったのか。シンガポールは若い国だとおっしゃっていましたが、シンガポールという国についても教えてください。

シンガポールは本当に変化が激しくて1年半留守にして久しぶりにいくと、新しい建物が沢山立っていて、完全におのぼりさんになってしまいます。私はシンガポールを離れて長いので、これが最新情報かはわからないのですが、私が知る限り、プロフェッショナルなオーケストラは、シンガポール交響楽団が1つあります。それから中国の楽器を使った楽団があります。そして音楽大学が1つあります。20年ほど前に創立された国立大学で、私も卒業生です。ほかにも芸術学校というのが1つか2つあると思います。シンガポールの音楽というのは多様性にとんでおり、クラシック音楽はその文化の中の小さな一部です。文化の多様性というのも、中国系、マレー系、インド系そして西洋系に分かれていきます。中国といってもその中でいろいろな地域の人がいるので、非常に民族的カラーが鮮やかにある国です。

私自身については、非常に一般的な家庭で育ちました。家の誰も音楽家ではありません。たまたま小学校1年生の時にブラスバンドに入りました。私の先生が数学の先生だったのですが、ブラスバンドの担当で、生徒が足りないので、みんなにブラスバンドに入部するという紙を配って、親にサインをもらってこいというので入ったという経緯です。小さかったのでトロンボーンもチューバも無理でコルネットしか演奏できず、中学校に入ってからトランペットに移行しました。そして高校を出るまでこの吹奏楽の活動を続けていました。この吹奏楽は日本から得た我々の文化です。日本では非常に吹奏楽が盛んですよね。

そして高校卒業してから、シンガポールには徴兵制度があるので軍に2年間務めました。最初の3か月は基本的なトレーニング、それこそ射撃や爆弾の取扱いなどを学んでからは、軍楽隊に入ることができました。ビューグルを吹いていました。コンサートホールで演奏するのとは全く違い、実際に行進をしながら吹かなくてはならず、技術が必要でした。そして何か目標があり、祭典のために音楽を吹くという非常に貴重な体験をしました。様々な行進曲がありますが、早いもの、ゆっくりなもの、そして葬送行進曲など、そしてそれが実際にどういう風に人々に影響するのか。ラデツキーやスーザ、マーラー、色々な方々が行進曲を書いていますが、テンポの扱いが文化によって違うことなど、確かアメリカは速くて、イギリスは動作が大きいのでよりゆっくりとか、こういうことは音楽大学では学べることではないので、この2年間は貴重な経験をさせていただきました。

そしてその後、音楽大学に行って作曲を勉強しました。その時は指揮科がなかったのです。作曲家は沢山いるのに、誰も演奏してくれる人がいないので、当然のようになぜか私が指揮をすることになってしまいました。オーケストラも学生はいるのですぐに集まってくれます。最終的にピザとコーラがあればみんな喜んで演奏してくれました。私が学生だった4年間の間に、ベートーヴェンは全曲、ブラームスも全曲、シューマンも3曲ほどやりましたし、私の指揮の先生というのは、決してプロの先生ではありません。私の同期の学生たちでした。弦楽器の人であれば、この部分でもっと弓で呼吸をしなければいけないとか指摘をしてくれるわけです。管楽器の人であれば、いまテンポが安定していないからこうしてくれ、とか自分と同じレベルの学生たちに言われるので、私の音楽の見方は少し普通とは違うかもしれません。手をどうやって使うかということよりも、他の音楽家たちにどうやってものを伝えるか、ということを主として4年間を過ごしていました。それから私はベルリンに行ってクルト・マズアに出会うのですが、彼はとても怖い先生でした。私に指揮者であることはこういうことである、といろいろ教えてくれました。それは指揮者が何をするべきか、ということではなく人間というのはこうでなければいけない、というような教えでした。そして2012年の洗足学園であったマスター・クラスで私の妻と出会いました。クルト・マズアとトモコ夫人が私と妻を引き合わせてくれた、というような経緯です。

質問⑤クラシック音楽を演奏したり解釈したりする中で、シンガポールの多様性が強みになっている部分があれば教えてください。

多様性こそが私のアイデンティティだと思っています。悪いとも良いとも思っていません。ある人がヨーロッパで生まれてそれがアイデンティティになっていく。普通のことだと思います。私のアイデンティティはダイバーシティとインクルージョンそのものです。私はいろいろな文化に出会うとき必ず敬意をもってアプローチをします。そこから何かを学びたいというマインドになっていくのではないかと思います。

質問⑥楽員さんと密にコミュニケーションをとっていくわけですが、音楽を作り上げていく中で大切にしている信条などがあれば教えてください。

楽団員との私には強い共通点があります。それは楽譜です。マーラーであろうと伊福部であろうと、そのスコアを共有している。そういう繋がりがまずあります。なので我々音楽家というのは、そういう運命をたどるのでしょうが、このような共通の絆というものがあります。そしてこのスコアを通して多様性というものを、音楽の僕という立場から乗り越えていけると思っています。

写真:吉田タカユキ

 

《これからの演奏会》
■第740回東京定期演奏会
2022年5月27日(金)、28日(土)サントリーホール
ピアノ:務川慧悟*
ソプラノ:三宅理恵**
伊福部昭:ピアノと管絃楽のための《リトミカ・オスティナータ》*
マーラー:交響曲第4 番ト長調**
【配信】https://members.tvuch.com/member/classic/161/

■第135回さいたま定期演奏会
2023年1月14日(土)埼玉会館
■第399回名曲コンサート
2023年1月15日(日)サントリーホール
ギター:村治佳織
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第3番《英雄》

■第747回東京定期演奏会
2023年1月20日(金)、 21日(土)サントリーホール
伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

■第384回横浜定期演奏会
2023年1月28日(土)横浜みなとみらいホール
■第244回芸劇シリーズ
2023年1月29日(日)東京芸術劇場
ピアノ:小菅優
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
ラフマニノフ:交響曲第2番

■第750回東京定期演奏会
2023年5月12日(金)、13日(土)サントリーホール
チェロ:佐藤晴真
ミャスコフスキー:交響曲第21番《交響幻想曲》
芥川也寸志:チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート
ヤナーチェク:シンフォニエッタ

 

【掲載記事】

ONTOMO https://ontomo-mag.com/article/report/japanphil-kahchun-wong202205/
SPICE https://spice.eplus.jp/articles/302993
ぴあ https://lp.p.pia.jp/article/news/230741/index.html?detail=true
ぶらあぼ https://ebravo.jp/archives/118296