広上淳一(指揮者) 益滿行裕(日本フィルハーモニー交響楽団 事務次長/企画・制作部長) 聞き手:ナクソス・ジャパン 2021年2月26日 東京
※インタビューは感染対策を行った上で実施いたしました。
― まず、大変残念なことに、尾高惇忠先生が大腸がんで2月16日に逝去されました。今回の録音のリリース準備の最中であった我々も、大変な衝撃をもって受け止めています。
広上淳一氏(以下、広上):尾高先生は、今回のアルバムジャケットのゲラもチェックされていたようですし、私とも亡くなる3日前に長電話をしていたくらいなので、本当に急なことでした。先生から音楽を習っていた頃、「お前はグズだ」とよく叱られていましたが、こんなに早く亡くなられてしまうなんて、「先生、いくらなんでもせっかちすぎるよ」と言いたいです。 2月16日というのは、奇しくもお父様(作曲家・指揮者の尾高尚忠氏)の命日でもあるんですよね。その前日は奥様のお誕生日で、もしかしたらその日まで頑張られたのかな、と思います。 これからやっと恩師孝行ができるかな、と思っていた矢先にこんなことになってしまって、まあ、人生そんなものかもしれませんが、今は抜け殻のようですね。
「せっかちすぎるよ」──10日前に亡くなった師について語る広上氏
― 尾高先生と広上先生は、同じ高校(湘南学園高校)の先輩、後輩でもあり、かつ師弟の関係でもあるというということで、深いご縁がおありであったと伺っていますが、お二人のご関係について教えていただけますでしょうか。
広上:先生に最初にお会いしたのは高校の時でした。当時、桜田淳子の追っかけに熱中していて(笑)、学校の成績も良くなかった僕に、「あなたは音楽しか取り柄がないから、素晴らしい先生を紹介してあげましょう」といって、ある方が紹介して下さったのが尾高先生だったのです。当時、先生はパリ留学から帰られたばかりの30歳、僕が16歳の高校一年生でした。 先生にはピアノと音楽理論を教わりましたが、僕は怠け者だったので、いつもピアノも理論も勉強しないまま伺って、「お前、こんなことやっていると不幸になるぞ」と言われました(笑)。一方で先生は、「もっと先に行くと、こういう楽しみがあるぞ」といって、4声体のフーガの習作をピアノで弾かれたりして、まさにパリで「エクリチュール」をマスターされてきた、その片鱗を見せて下さるわけです。それを見て、「自分はとんでもない天才についているのではないか」と子供心に思いました。 レッスンは大学に入るまで受けていましたが、先生からは、指揮をする、ピアノやヴァイオリンを弾く、ということ以前の「音楽をやる」とはどういうことか、について、多感な頃に教えていただきました。そのおかげで、僕のような人間でも、今こうして音楽を生業にできているんだと思っています。 たとえば、僕は大ピアニストのウラディーミル・アシュケナージ先生と何度も共演しましたが、彼は「みんな指の練習をやっているが、技術というのは、まず表現したい欲求が先にあって、その手段として身につけるべきものだ」と言われて、どこかで聞いたことがあると思ったら、尾高先生が高校時代の僕に仰っていたことだったんですね。
― 指揮者となられてからは、尾高先生の作品もたびたび指揮していらっしゃいます。
広上:実は高校の頃、指揮者になりたかった僕を、ある時高校の音楽の先生が抜擢してくれて、学校の音楽コースで女声三部合唱を指揮することになったのですが、そのために先生は新作を書いて下さったのです。これが先生の作品を指揮した最初でしたが、実は今年6月に、その作品を先生がオーケストレーションして混声合唱版に編曲をして下さったものを指揮することになっています。 指揮者になってからは、スウェーデンのマルメ交響楽団で先生の作品を録音しましたし、今回の「ピアノ協奏曲」も初演を指揮しました。それからこの6月に、遺作となってしまった「ヴァイオリン協奏曲」の世界初演を米元響子さんと京都市交響楽団でやります。この曲は、先生ががんと闘いながら書かれていましたが、「この曲は俺らしくないんだよね。静かに終わるから」と言われていたのがとても辛いですね…。
― 今回リリースされる「交響曲」と「ピアノ協奏曲」はどのような作品でしょうか。
広上:コンチェルトのソリストの野田清隆君は、やはり我々と同じ高校の後輩でもあり、とても素晴らしいピアニストですが、先生が彼をとても可愛がっていらして、「コンチェルトを君たちでやってくれたらいいなあ。今書いているんだけど」と言われたことから、我々が初演することになりました。少なくともピアノパートは野田君を想定して書かれていると思います。
「ピアノ協奏曲」のリハーサル(左から広上氏、野田氏、尾高氏)
その後、忠明先生が札幌交響楽団で取り上げられましたが、その時にソリストを務めた清水和音さんが、ふだんは現代音楽を弾きたがらないのに、この曲は素晴らしいといって夢中でさらったようです。 二つの曲に共通して言えるのは、「激しい」ということですね。その軸になっている、先生の内側にあるマグマのようなエネルギーは、ベートーヴェンにも少し似ていると思います。 緩徐楽章(第2楽章)には、彼の優しさや、憂いの感情が出ていますが、最後の楽章では再び激しく戦いを挑む、という感じです。 一方で、二つの作品を比べると、コンチェルトの方が、よりご自身のキャラクターを投影させているような気がします。ピアノが「彼自身」、オーケストラが「世の中」で、彼が世の中に対して会話を挑む、という感じでしょうか。これに対して、シンフォニーの方がよりフォーマルな感じがしますね。 そして、いかなる時も、「音」というものの美しさは壊さないぞ、どんな現代音楽の手法が出てこようとも、「音の美しさ」を求めるのが本来の音楽家の姿なのだ、という姿勢を、大上段に構えるのではなくて、作品の中に散りばめて語っている、というのが私の感想です。
「交響曲《時の彼方へ》」の演奏後、客席の喝采に応える尾高氏(左)、広上氏(右)
― 指揮者として様々な曲を演奏してこられた中で感じられる、尾高作品の特徴とはどのようなものでしょうか。
広上:指揮をしてきた人間から見ると、先生のオーケストレーションは、ベートーヴェンに似て「不器用」なところがあると思います。洗練された部分とそうでない部分が交互に出てくる。演奏する側としては、そこをいかに作っていくか、という面白みがあります。先生も、「この部分はあなたたちの腕次第だよ。作品としてはちょっと弱いんだよ」と照れながら仰っていたりもして、そのような「演奏家に委ねる」ことをされる方でした。 そして、演奏技術的にもかなり難しいのですが、楽員の皆さんは一生懸命さらってくるんです。というのは、音楽的魅力があるから、さらいたくなるんですね。そのことは僕にも手に取るように伝わってきます。演奏家は、現場におけるいわば大工さんですが、先生は演奏家の気持ち、演奏家とのコミュニケーションの取り方がよくわかっていたんです。なぜかというと、先生自身も名ピアニストだったからだと思います。師匠の矢代秋雄先生も同じだったようですが、ものすごい初見能力、読譜能力でした。 そして何より、先生の作品は難しいかもしれないけど、「口ずさめる」ところに魅力があると思います。
「先生は「演奏家に委ねる」ことをされる方でした」
―「現代音楽」や「日本人作品」はふだん聴かない、という方にも是非聴いていただきたいですね。
広上:いわゆる現代音楽の世界で、それこそ耳を塞ぎたくなるようなカオスな音楽や、あるいはジョン・ケージのような音楽がもてはやされていた中で、先生はあくまでご自身は、「音楽」をやるんだ、「記譜」をして「作品」を作るんだ、という立場はぶれなかったですね。何より、先生の作品を演奏した時の、聴衆のあの静けさ、そして終わった後の熱狂的な拍手が、先生の姿勢が間違っていなかったことを証明していると思います。 また、日本人は自国民に対してはやたら厳しく、一方で、カタカナ表記されている外来のものを崇めてしまうという、「鹿鳴館」以来のものの見方がいまだに残っていると思います。 現代音楽だからとか、作曲者がどの国の人だからとか、そういう捉え方をすることなく、個々の作品を一つ一つ吟味する姿勢、というものが必要だと思いますね。
― 日本フィルさんとしては、今回の尾高作品のリリースにあたってはどのような思いがありますでしょうか。
益滿行裕:(邦人作曲家に新作を委嘱・初演する)「日本フィル・シリーズ」という、渡邉曉雄先生が作って下さった伝統を継承し進めたい、という思いからです。最近、自主レーベルを持つオーケストラが世界中に増えていますが、自分のオーケストラによる委嘱作品がこれほど多くあり、かつ、その録音もリリースしている、という例は他にないのではないでしょうか。 渡邉曉雄先生の時代に「日本フィル・シリーズ」の委嘱作品のレコードが発売されています。現在、当シリーズを含む過去のライブ音源を自主配信するプロジェクトをスタートさせましたが、今回のリリースはその第1弾にあたるものということになります。 二作品のうち、「ピアノ協奏曲」が当シリーズでの委嘱・初演作品となりますが、委嘱作品は初演だけではなく再演も大事ですので、「ピアノ協奏曲」もいつかまた演奏の機会を作れたらと思います。
「委嘱作品の録音をリリースする」ことの使命を語る益滿
―最後に、リスナーの皆様にメッセージをいただければ幸いです。
広上:とにかく、お聴きになられた方には「どうか広めてください」と申し上げたいです。 尾高先生はもっと人に知られるべき存在だと思いますが、ご本人はそういうことにあまり価値を見出さない方でした。先生にお会いすると、「承認欲求なんてものがある奴は、お前や忠(=忠明さん)のように指揮者になるんだ」と言われて(笑)、私も「その通りでございます」と返したりして、先生からそういうことを言われるのが大好きでした(笑)。 こんなことを言うと反感を買うかもしれませんが、この国はいろいろな分野で「似非インテリ」を出し過ぎてしまったのではないか、と感じています。本当に美しいもの、本質的なものを大切にしようというメンタルではなくて、つねに新しい刺激物を求め、人が飛びつきそうなものに対する知識を広めてゆく教育をして、「良いものは良い」と言える勇気を持てる人間が育たなかったのではないか、ということです。 音楽の分野でも、そういう人たちは、「普通」であることをバカにしたり、新作なのに今まで通りじゃないか、などと評したりするわけです。先生は、そういう人たちと戦わなければならない立場にあったかもしれません。 そこに一石を投じる、といったら大げさかもしれませんが、本質的なことは何か、大事なことは何か、それを音楽の分野で伝える、この作品集はその叫びのような気がします。そして、聴かれた方は、たとえ音楽のことをよく知らない方であっても、そういう「何か」を感じることができると思うんですね。ぜひ聴いていただきたいです。
― ありがとうございました。
指揮者:広上淳一からのメッセージ動画https://youtu.be/4dnTX6VSbvU
【作曲家プロフィール】
尾高惇忠(おたか あつただ)
1944年東京生まれ。1966年東京藝術大学作曲科卒業。在学中、作曲を池内友次郎、矢代秋雄、三善晃、ピアノを安川加寿子の各氏に師事。同年9月、フランス政府給費留学生として渡仏、1970年パリ国立音楽院卒業。この間、モーリス・デュリュフレ、マルセル・ビッチュ、ジャン・クロード・アンリー、アンリー・デュティーユの各氏に師事、高等和声、対位法、追走法のクラスで一等賞を受ける。1970年に帰国後は作曲活動のかたわら、ピアニストとして室内楽、歌曲伴奏など分野で活躍。東京藝術大学作曲科、桐朋学園大学にて後進の指導に当たる。1982年「オーケストラのための“イマージュ”」で第30回尾高賞、2001年オルガンとオーケストラのための“幻想曲”で別宮賞を受賞。2012年交響曲『時の彼方へ』で第60回尾高賞。2021年2月16日、逝去。
【リリース情報】https://japanphil.or.jp/news/jporecordings
【関連情報】
・#輝ける君の未来へ贈る 全国の子どもたちへ卒業式の音楽を届けたい:
現在、広上マエストロが取り組んでいる、全国で卒業を迎える子どもたちのためにオンラインで卒業式の「歌」を届けるプロジェクト。 ・ウェブサイト: https://readyfor.jp/projects/Graduationceremony2021 ・広上淳一 ビデオメッセージ: https://youtu.be/KClaWxzq-3Q
・広上淳一指揮|日本フィルハーモニー交響楽団第731回東京定期演奏会 (2021年6月11日(金)19:00、12日(土)14:00 サントリーホール) https://japanphil.or.jp/concert/24097