舩木(以下略):日本フィルハーモニー交響楽団第714回東京定期演奏会にようこそおいでくださいました。今日は日本フィルのベートーヴェン・ツィクルス開始でございます。昨晩もありましたが、回としては今日が最初ということでそのツィクルス開始にあたって首席指揮者のピエタリ・インキネンさんのお話を伺おうと思います。もう一度大きな拍手を。私は聞き手を務めさせていただきます音楽評論の舩木篤也と申します。どうぞよろしくお願いいたします。通訳は井上裕佳子さんです。マエストロ、ベートーヴェンですけれども、最初に子供のころに聴いた時の思い出はありますか。
インキネン(以下略):私の記憶の中で、人生で初めてベートーヴェンと出会ったのは、記憶には実はなくて、たぶん母のおなかの中にいるときからベートーヴェンは聴いていたと思います。そして私がヴァイオリンを始めたころ、3歳、4歳の時点でたぶん何かベートーヴェンは弾いていたのではないかなと思います。そして実際に鈴木メソッドを卒業して、フィンランドでは全部オープンストリングで演奏ができたときに、第九のメロディを演奏して。こう4本の指を全部使っていたというのは覚えています。ですがそれがベートーヴェンだという認識はありませんでした。
インキネンさんは最初ヴァイオリニストを目指されていて、今もお弾きになりますけれど、指揮者としては、私の印象かもしれませんが、意外とロマン派以降の音楽が得意だという印象があるのですが、古典派であるベートーヴェンはどれぐらい今まで取り組んでいらっしゃいましたか。
実は古典派のベートーヴェンもかなり早い時期から始めていました。これは私の指揮の先生、パヌラ先生のおかげなんですが、彼についたのは14歳の時でした。そして直ちにベートーヴェンの曲は教育の中の柱の一環であるということに気が付きました。最初は彼のピアノ曲を分析しましたが、それからはオーケストラの作品、交響曲などをすぐ振らせてもらえるようになりました。彼の作品の中には、指揮者として必要な要素がすべて含まれているのです。ベートーヴェン、そしてその前の方たち、古典派の前も含めて、私のレパートリーの一部であることは間違いありません。ですが、最近ではフルサイズの交響楽団を振るということで、どうしてもロマン派後期の作品が多くなってしまう、という現象は確かにあります。ですがこの古典派の音楽というのは私のレパートリーの一部であることは間違いありません。
ベートーヴェンは来年生誕250年を祝うわけで、その年を挟んで2021年までツィクルスを組んでおられます。ベートーヴェン・ツィクルスというのは、そういうことで方々であるのですが、今回のインキネンさん日本フィルさんの特徴としては、ベートーヴェン以外の例えばドヴォルジャークであるとか、ブルックナー、リヒャルト・シュトラウス、こういった曲と組み合わせてツィクルスを組んでいらっしゃる。その意図をお伺いしたいのですが。
実際にこのツィクルスを2シーズンかけてやる、と決まった時に他の作曲家と合わせようと考えました。もちろんベートーヴェンだけをやるのであれば、数回のコンサートでできるのですが、今回はほかの作曲家とカップリングをすることになりました。ブルックナーは、ここ数年にわたって日本フィルと取り組んでいます。なのでちょっとしたツィクルスの続き、という形でブルックナーを入れています。ドヴォルジャークは、私はプラハでも仕事をしているので、数年にわたってチェコの音楽のことをずいぶん学びました。そこでの学び、様式などをぜひ日本の皆様にも聴いていただきたいと思いました。今日もドヴォルジャークの後期のオペラ《アルミダ》序曲を皆様に聴いていただきます。これがどうしてめったに演奏されないのか、私も不思議に思うのですが、この有名な作曲家だけど稀にしか演奏されない作品をぜひ楽しんでください。そして私のドイツのオーケストラとのレコーディングも昨日から発売されていると思いますが、ドヴォルジャークのツィクルスや序曲もありますので、もしお時間がありましたらお手に取ってみてください。リヒャルト・シュトラウスは我々はそんなに演奏してはいませんでした。ですが、この数シーズンにわたって日本フィルと私でワーグナーにも取り組んでいますので、この音の世界、音のパレットをより拡張するという意味でロマン派の音色の、このシュトラウスを取り上げたいと思いました。やはりこういう作品を通して楽団としての技巧的な部分、そして規模も膨らんでいくのではないかと期待しています。
そうしてみると、ベートーヴェン・ツィクルスにとどまらず、インキネンさんと日本フィルの一種の集大成といいますか、ここまで一緒にやってこられた仕事の集大成というような感じですかね。今日はピアノ協奏曲第4番と英雄交響曲がメインにありますけれども、ツィクルス第1回の1日目、昨夜同じプログラムでやったんですが、その時にも少しお話をしてインキネンさんが、英雄交響曲はロマン派に近い、ロマン派の要素もある交響曲でそこから始めたというようなことをおっしゃっておりましたけれども、どういう点がこの交響曲にその側面があるといえますか。
実際にこの作品というのは、どんどんホルンが加わったり、いろいろな細かい部分でも大きなオーケストラという方向性に動いています。なので大きさだけではありませんが、響きとしてもロマン派のオーケストレーションも感じられますので、私としてはやはりロマン派という印象が強いです。もちろん作曲法という意味では彼の過去、古典派のものがたくさん入っていますが、その内容としては表現力、音楽の扱い方というのはロマン派寄りという風に感じています。私自身のテイストもやはりそういう方向性に向かっていますので、私としてはロマン派寄りの解釈をしています。
今日はステージをご覧になってお気づきだと思いますが、コントラバスが左側にあります。チェロがこちら側に座っていて、あちら側はセカンドヴァイオリンですね。そしてヴィオラですよね。こういうのを、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが対向しているので、対向配置と呼ばれているようです。この配置をとるメリット、意図はどういうところにありますか。
もちろんこういう座り方というのは、妥協の連続だといつも思います。いいところもあれば、悪いところもある。でも最近はベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーはだいたいこういう座り方をしています。交響曲にもよるのですが、例えばブラームスという作曲家。彼の作品でセカンドヴァイオリンが、ファーストヴァイオリンの隣に座っていたりしますと、実は音が埋もれてしまって聴こえなくなってしまう。ベートーヴェンの作品でもそういうことが多いんです。なのでファーストヴァイオリンとセカンドヴァイオリンが向かい合って座ることによって、その音符のやり取りが浮き出てきますし、聴衆の皆様にも、それがよく伝わります。音としてだけではなくて、ヴィジュアル的に見ていても音のやり取りなんだな、ということがわかるわけです。ですが、例えばイタリアの作品、チェコの作品もそうなんですが、ファーストとセカンドヴァイオリンというのは常に演奏しています。しかも早いパッセージが多いです。そういう時は向かい合っていると音を合わせるのが大変なので、隣同士に座っているほうが実は楽なんです。あともう一つ音響の面ですが、サントリーホールはそれほど問題ではないのですが、長方形型のホールの場合だとホルンの位置がとても重要になってきます。ウィーンの楽友協会とかベルリンのコンツェルトハウスとかがそうですが、実際にホルンが壁に向かって吹いてしまうと、その壁の反響で音が大きくなってしまう。バランスが崩れてしまうんですね。なので対向配置でホルンが座っていると一番音がなじんで、バランスが良くなってきます。あと今日の例ですが、《エロイカ》の中で葬送行進曲があります。2楽章ですね。テーマがファーストヴァイオリンで始まりますが、コントラバスがそれを支える音がすぐに入ってきます。なので舞台の反対側に座っているよりも、サポートがすぐ横にいるほうが、効果としては良いと思います。
お時間になりましたので、最後の一言になりますが、今日はベートーヴェン・ツィクルスのスタートをお祝いするのが一つと、もう一つ。インキネンさんは来年バイロイト音楽祭で《ニーベルングの指環》を指揮することが決まりました。一言だけわれらがインキネンさんにお伺いしたいのですが、日本フィルでもワーグナーをやってきましたが、ワーグナーのどういうところに惹かれているのでしょうか。
私が初めてワーグナーの音楽を聴いた時、ワーグナーの虫にかまれてしまいました。もうこれは治ることがない病気のようなものだと思っています。ここにいらっしゃるワーグナーのファンの方たちは、皆様ご存じだと思いますが、その世界に一度引きずり込まれてしまうと、出ることはできません。魂に語りかけられ、しっかりと捉えられてしまう。時間というものがなくなってしまう世界に私たちはどんどん入り込んでしまう、他のものがなくなってしまう感覚になります。そしてこういう感覚は年々強くなっていると思います。
舩木:ベートーヴェンとワーグナー、ワーグナーは多大な影響をベートーヴェンから受けています。これを並行して取り組んでいかれるインキネンさん、ますます良い成果をこちらで聴かせていただけることと思います。ベートーヴェン・ツィクルスは横浜公演も含めて全部のシンフォニーがそろいますので、どうぞそちらにもお越しください。今日はインキネンさん、どうもありがとうございました。
聞き手:舩木篤也 通訳:井上裕佳子
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