聞き手:高坂はる香
—東京定期演奏会では、昨年夏にスタートしたブルックナー・プロジェクトの第2弾として交響曲第7番を演奏されます。改めてブルックナーに取り組まれるようになったのは、どんな想いからですか?
これまでほとんどやってきませんでしたが、残りの人生で、そろそろブルックナー先生の世界を味わってみたいと思うようになりました。これまでに1番、4番、6番、それからこの間初めて8番を演奏し、今度は7番です。 なかなかできなかったんですよ、やっぱりこわくて。ブルックナーには特に詳しいファンも多いですし、作曲家自身も知らなかったことまで勉強しているような愛好家もいらっしゃいますから。
—ブルックナーの交響曲を一つずつ演奏していくことには、指揮者のロマンのようなものがあるのでしょうか?
いや、私にはあまりそういう想いはないんです。彼のシンフォニーは、生前はそこまで評価されていませんでしたが、マーラー先生が指揮者として取り上げていましたね。 純器楽曲としては長い作品で、お客様がその長い船旅に飽きないよう演奏しなくてはいけません。日本では、ブルックナーの演奏会では女性の聴衆が少なく、男性トイレに列ができるなどといわれますが、今回は、女性にもブルックナー・ファンになっていただけるような演奏をしたいと思います。もちろん、同時に男性のファンにも受け入れていただける演奏を目指します。
—日本ではなぜ男性に人気なのか、広上さんのご見解はありますか?
女性からすると、美しいけれど長くてしつこいと思うのかもしれませんね。それに対して、男性はその長さにロマンや哲学を感じるのかも。私はもう少し違うアプローチで、女性にも受けるブルックナーにしたいと思います(笑)。
—あわせて演奏されるのは、米元響子さんをソリストに迎えるブルッフの「スコットランド幻想曲」です。
私は響子が19歳の頃からよく知っているんです。彼女が教授をつとめるオランダ・マーストリヒト音楽院の同僚でもあるボリス・ベルキン教授が、“響子のスコットランドは、聴いたら泣くぞ”というので、以前、名古屋で京都市交響楽団と共演したことがあります。実際、その演奏は本当にすばらしかった。あれからまた円熟味が増しているはずですから、東京のお客様にもぜひ聴いてほしいと思いました。
—一方、横浜定期演奏会では、ベートーヴェンの「田園」とピアノ協奏曲第4番が演奏されます。今の時代にベートーヴェンを届けることに、何をお感じになりますか?
意図していたわけではありませんが、どちらもどこか祈りのようなものを感じる、静かで渋い作品ですね。「田園」は指揮者からするととても難しいので、できれば避けたいくらいなのですが(笑)、それでもやはり何度も取り上げてきた作品です。今64歳。歳を重ねたオヤジの、諦観した「田園」を聴いていただこうかなと思います。
—諦観ですか……? いつもエネルギッシュでいらっしゃるように見えますが。
いやもう、諦観の極地ですよ、いろいろな意味で。動きも鈍くなってきていると思いますが、逆に、私が力まないぶんオーケストラも力まなくなって、いい音がするようになったと思います。 やはり脱力って大事なんですよね。でもそれは、力を入れて何十年も突っ走ってきたからこそできる脱力で、最初からずっと脱力しているだけでは、こんにゃくのようでうまくいかないのです。
—ピアノ協奏曲第4番では福間洸太朗さんがソリストとして出演されます。
福間さんとは初めて共演しますが、楽しみですね。今、こうして若く人気と実力のあるピアニストがたくさん出てきて、素晴らしい時代になったと思います。 この協奏曲には優しさ、愛情、そして闇と光のようなものが感じられます。5つのピアノ協奏曲の中でもっとも詩的です。月光ソナタに通じるものも感じます。 ベートーヴェン先生はこの時期、かつての父親の虐待の記憶と決別しようと、自分のロマンティックな感覚は傍に置いて、構造と分析を重視して作品を書くことを実験的に行なっていました。一つの素材をどこまで広げていけるか、分子単位まで分解してから重ねていくという曲の作り方をしています。いわゆる《傑作の森》の時代は、父との訣別の時期でもあったということです。それを越えたら、今度はどんどん構造がなくなるほうに変わっていき、ロマン派への架け橋をつくったわけです。エネルギーのある、本当にすごい人でしたね。
—今シーズンから、フレンド・オブ・JPOに就任されました。長く知るオーケストラと演奏することには、どんな良さ、難しさがありますか?
むしろそういう気持ちはもう通り越したから、“フレンド”という立ち場にしていただいたところがあります。1988年のデビュー以来、タイトルがなくても毎年定期演奏会に呼んでいただいて四半世紀を越えたわけで、感謝していますね。 長く付き合うとはどういうことかというと、お互いにシミやほくろの数、良さも悪さもわかるということでもあります。 京響の常任指揮者をしていた頃に発見した一つの哲学があるのですが、それは、微熱の愛情が一番うまくいくということ。カッと燃えると冷めるのも早いでしょう。そういう付き合い方だと、オーケストラ振り回してしまうのです。それよりも、微熱の愛情を注ぎ続けてこそうまくいくと学びました。 歳をとることで、経験や知識も前よりは少し増え、ようやく指揮者として調整する能力が身についたと思います。かつて渡邉暁雄先生は、若かった私たちを応援してくださいました。今は自分が当時の先生の年代になったので、少しずつ恩返しをしなくてはという気持ちでフレンドの立場をお引き受けしました。いつの時代も、人はつい自分のことばかり考え、勉強するのも結局自分が生き残るためとなりがちですが、ずっとそればかりではやはり虚しいのです。 コロナや戦争で先が読めない時代、日本も今の政策のもとでは経済的に厳しい業界がたくさんありますが、日本フィルのような自主オーケストラが倒れることになれば、それは文化が滅びるということで、国としてとても良くありません。私が何かいったところで耳を傾けてくれる政治家はいないかもしれませんが、少しずつ、その部分に働きかける仕事もしていかなくてはと思っているところです。 そういう生き方を続けながら、これからもオーケストラとともに音楽を創っていけたらと思います。