【訃報】イルジー・ビエロフラーヴェク氏(首席客演指揮者)

<訃報>  イルジー・ビエロフラーヴェク氏

 

1985年5月より日本フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者を務められたイルジー・ビエロフラーヴェク氏が、2017年5月31日、お亡くなりになりました。

日本フィルとはマエストロが28歳の1974年4月に初共演し、マルティヌーの交響曲の日本初演(第6番が1975年12月、第1番が1979年5月の東京定期演奏会)をするなど、母国チェコの音楽を日本に広く紹介しました。また、2006年創立50周年の東京定期演奏会での「わが祖国」は、忘れられない名演として語り継がれております。

日本フィルの指揮台に最後に立っていただいたのは、2009年12月、第616回東京定期演奏会。ブルックナーの交響曲第5番でした。

2017年秋のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演を楽しみにしていた矢先に届いた突然の訃報に、楽団員一同、深い悲しみに言葉もございません。

マエストロに改めて深い感謝をささげるとともに、ここに謹んで哀悼の意を表します。

 1946年プラハ生まれ。4歳のとき児童合唱団に入団し、少し後にはピアノのレッスンも開始した。またサードロ教授にチェロを師事。その後、プラハ音楽院とプラハ芸術アカデミーで音楽の勉強を続けた。本格的に指揮の勉強を開始したのはこの頃からで、ロバート・ブロック、アロイス・クリーマ、ボフミール・リシュカ、ヨセフ・ヴェセルカから指導を受けた。
 1968年には、著名な指揮者チェリビダッケに招かれ、彼の助手となった。1970年チェコの若手指揮者のためのコンクールで優勝し、その翌年にはカラヤン指揮者コンクールで最終選考まで出場。そして、1970年にチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して好評を博したのが、このオーケストラとの長い関係の始まりとなった。
 1972~78年ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務め、その後プラハ交響楽団の首席指揮者に就任(1989年まで)。続いてチェコ・フィルの常任指揮者にも就任した。
 1990年には、ノイマンの後任として、チェコ・フィルの首席指揮者に就任。

 彼は、とりわけチェコ音楽の演奏で同楽団の名声を高め、自身もターリッヒ、クーベリック、アンチェル、ノイマンという同楽団のチェコ人名指揮者の長い系譜に名を連ねることになった。
 1994年プラハ・フィルハーモニアを結成して2005年まで音楽監督を務め、同年、桂冠指揮者となった。加えてこれまでに、ベルリン・フィル、ボストン響、クリーヴランド管、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、ニューヨーク・フィル、N響、フィラデルフィア管、シュターツカペレ・ドレスデンなど世界有数のオーケストラを指揮し、ベルリン、エディンバラ、ルツェルン、ザルツブルク、タングルウッドなど数々の音楽祭に出演している。
 1994年プラハ国民劇場の首席客演指揮者に指名され、BBC交響楽団では1995年より客演指揮者、2006年より首席指揮者を務めている。これらの職務に加え、ベルリン、コヴェント・ガーデン、メトロポリタンほか多くの歌劇場で、オペラ指揮者としての手腕を振るっている。
 指導者としても尊敬を集めており、1997年にはプラハ芸術アカデミーの教授に就任。2009年まで指揮科の学科長を務めた。彼の弟子には、トマーシュ・ハヌス、ヤクブ・フルシャ、トマーシュ・ネトピルといったチェコの若手指揮者が名を連ねている。 
 録音作品は幅広い分野に亘っており、ナクソス・レーベルが「ビエロフラーヴェクの最もすぐれた録音はチェコ・フィルを指揮したもので、オーケストラの高い演奏能力と彼の深い音楽性が相まって、際立った質の演奏を創り上げている」と評するとおりである。
 2012年5月には英国エリザベス女王より大英帝国勲章のCBE勲章が授与され、またチェコ共和国からは一等功労メダルが授与された。
 2012年には待望のチェコ・フィル首席指揮者への復帰が実現した。彼の発想豊かな指揮と同楽団の共演は、真にエキサイティングなコラボレーションとなリ、演奏はすでに世界中で大好評を博している。